感覚
相変わらず寒い日が続きますね。今日は野菜の配達で広島に出ていましたが、やはり気候の差を思い知らされます。
入院中の祖父ですが、今日から広島の日赤病院に帰って(?)来ました。肺炎のほうがだいぶ落ち着いたという判断らしいです。病院が近くなったのでこれからは見舞いに行きやすくなるのはいいのですが、こちらは駐車場が不便なのが問題。病院にも一長一短ありますね。
ということで今日はその日赤病院へ行ってきたのですが、広島市内中心部あたりを走るのは久々でした。
夕方、日暮れごろに運転していたこともあり目に付くのはクリスマス用のイルミネーション。平和大通り沿いにはかなり大々的なものが作られていました。
町にいたころの私であればそれなりに綺麗だなとかお洒落だなとか思っていたのでしょうが、今の私にはバカバカしさ以外の何ものでもありません。
これだけ環境のことや無駄使いのことが人の口に上っているにもかかわらず、その人のやっていることは上記のような矛盾したことばかり。結局は建前や金儲けの手段でしかないのでしょうね。
さて、「感覚」ということについてですが、このイルミネーションを見ながらふと思ったことです。
浪費に基づいた豪奢さ、これが現代人の豊かさの指標なのかなと。
あまりにも浅薄な思考回路だともいえますが、それ以上にこれは「感覚」の問題なのかもしれないなと。そういうものを見て「素敵!」と感じるか違和感を感じるか、これは知識やその人の生き方にも大きく左右されますが、好悪というものが感性によるものであれば我々が一生物として持っている感覚によるものなのかもしれないなと。
ま、なんにしても「もったいない」は口だけのようですね。
2005年11月22日 22:30
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