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2006年01月31日

現代農業

『現代農業』という月刊誌があります。これの増刊号というのが年に4回くらい発行されているのですが、今月の増刊号に載りました。
いつもお世話になっている「天意の里(あいのさと)」が取り上げられているのですが、その中に私もちゃっかりと登場しています。
時間があれば本屋さんで探してみてください。

さて、今日は確定申告の提出書類を仕上げました。一箇所書き損じがあったので新しい書類をもらって書き直さないといけないとは思うのですが、作業的には終わりです。提出期限は2月16日からなのでまだ提出はできませんが、これで一つ肩の荷が下りました。

こうして申告書類を作成していると無駄な経費というものがまだまだありそうな気がしてきます。そもそも野菜なんかの売り上げなんてたいしたことないんだから儲かるわけがないのはわかっているのですが、それとは違った視点からの話です。

実は一番かかっているのは車などにかかるお金。車検はもとより燃料代やオイルなどのメンテナンス費用。これは車だけでなく農機具も車検がないことを除けば同じことです。

自然農法などといいながらもまだまだ石油に頼りっきりなことは否めません。自然に近づけはそれだけ人の手は必要なくなるのですが、まだまだ既存の農法や周囲の科学万能思想から抜け切れていないようです。

今すぐに石油ゼロというのは無理だとわかっていますが、その方向へ少しでも近づけようという初心は忘れたくないものです。
有機栽培です、って言いながら石油をガンガン使っているのっておかしいと思うんですよねえ。これって売るためだけの農法じゃないかなって。

先日も書きましたが、「自然に近づける=生産コストは下がる=価格も下がる=大衆の食卓へ」とならなきゃいつまでたっても本当の食べ物は一部の特権階級のもので終わってしまうんです。

まあ、私もまだそれを具現化できていないわけですからエラそうなこと言えないんですけどね・・・

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2006年01月30日

春のもの

昨日実家にいたときの話。
裏の梅の木下にふきのとうが出ていました。立派なものがたくさん。
私のいるところではまだまだ雪の下なのですが、やはり南部ではそういう季節になったんですね。

正月には「春の七草」がスーパーなどにも並んでいますが、これは新暦での話。当然野にはそんなものが生えているはずもなく、売られているものは全てハウスの中で石油を焚いて作られています。
近年では山菜などもほとんどがそう。

自然の恵みをいただくから人間の体にもいいわけで、人工的に作り出したものが同じ作用をするとは考えられません。
季節感、旬というものは自然のめぐり合わせの中で必然の結果として生まれてきたもので形だけ同じようなものを用意すればそれでいいというものではないのです。

巷では「イチゴ大福」も並んでいました。今ではイチゴの最盛期が12月~になっているとか。自然に比べると半年近くずれています。

こうした現状はおかしい、おかしいといいながらも実はそのおかしさを生み出しているのはそれを買っている消費者であり、それに迎合する生産者であるわけです。
自分の日常を棚に上げて口先だけの批判をするしか能がない現状にはもう飽き飽きしました。

やはりこれからは行動の時代ですね。文句を言いたければ自分がまず行動にする。それができないのであれば文句も言わない。

「安心・安全」「健康」「地球環境」などなど行動を伴わないお題目はいりませんね。おかげで本当のことを伝えようとしたときに言葉がなくなってくるんだよねえ。

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2006年01月29日

納骨

今日は祖父の納骨。集金常会もあったのですが、近所の人にお願いして休みました。

納骨の行事自体は午後2時~午後3時くらいまでとそれほど時間はかからなかったのですが、今日はちょうど旧正月ということで実家で餅つきもしました。(機械ですが)

生前祖父はもちが好きで、毎年年末にはみんなで集まって餅つきをしていました。そんな祖父が特に好きだったのは草餅(あんこ入り)。ということで今日の納骨のときに墓前に供えてあげようと一つだけ持っていきました。

今の日本では死んでも土に返ることは許されず、かろうじて骨の一部が墓に入れてもらえるだけ。自然の循環の枠には入れてもらえないが、代わりに遺族にとってのカスガイ的な役を果たすようになっているのかもしれませんね。ま、これも家によって様々なのでしょうが。

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2006年01月28日

難しい

自然農法で育った野菜や米って高いのでしょうか、安いのでしょうか。

科学農法に比べて薬や肥料を買わないぶん、元手はいりませんがそのぶん手間がかかっています。全部とまではいかなくとも多少の人件費を考えると当然価格は高くなります。

まだ私は実現できていませんが、仮にその手間もかからないような農法が確立できれば、生産コストを格段に下げられることになり、結果価格は安くできるのではないか。

次に商品価値と価格の問題があります。

いいもの、他にはないもの、となると当然希少性・高品質という点から価格は高くて当然ということになります。また、いいものを作ったという生産者側の自負があればそれなりに高く買ってもらいたいというのも人情かもしれません。

次に価格と購買層の問題があります。

価格が高ければそれなりにお金を持った人しか手が出ません。ま、高いといってもいわゆる贅沢品に比べるとたいしたことはないので各人の生活態度を改めるだけで大衆にも手が出ないわけではないのですが、これは今論じても虚しいだけ。

となると価格に応じて自然農法、自然食というものが浸透しやすくなるかどうかが変わってくるわけです。多くの人に食べてもらいたいと思えばそれなりに価格を下げないといけない。しかし、逆に安いと質を疑われるという板ばさみ的な問題も抱えている。

現段階では価格を下げられるだけの農法を確立できていないのでやはり少々高めの価格設定にはなりますが、今後の方針を定めるに当たって難しい問題です。

高く売れないと自然農法なんて冒険はしたくないというのが現代の農家のあり方だしねえ。
ホリエモンじゃないけど、結局大半の人間は金が行動基準になっているのかなあ。

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2006年01月27日

解決?

今ブログの編集画面をいろいろつついていますと、コメントについて一つ判明しました。

皆さんが寄せてくれたコメント、「受け付けました」といってる割に画面上に出てきませんよね。原因ははきとはしませんが、コメントの編集画面にまではちゃんと残っています。そこから「保留」という扱いになっているので表に出てこないということらしいです。

で、今までコメントをしてもらっているものについては先ほど全て見させてもらいました。

今後ですが、おそらく今の状態が続くと思いますのでコメント編集画面で日々確認をさせてもらい、メールででもお返事をさせてもらおうと思います。なので私がアドレスを知らない人にはお返事が出来ないことになるのですが、ご了承ください。

とりあえず今までにたまっている分については数が多いのでお返事はご容赦ください。今日の分からはがんばります。

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2006年01月26日

筋トレ

今週に入ってから少しばかり筋トレをしています。といってもまだ今日で2回目ですが・・・
先日買って来た本もほぼ読んでしまったので暇なのです。

筋トレといいましても腹筋や腕立て伏せなど機材を一切使わないものを少しやるだけ。ですがここに大きな落とし穴が。部屋の中で筋トレをしているとさくらがやってきます。

やつも遊び盛り。ということで毎日のように私の袖口を引っ張っては大はしゃぎしています。
そこで筋トレをしていても当然のように袖口に食いついてきます。これが結構厳しい。
特に腹筋中なのですが、頭の後ろで組んだ腕の袖口を引っ張るものですから、かかる負荷は

自重+さくらの体重+さくらの引っ張る力

となりましてかなりの力が必要となります。ましてや今まで怠けきっていた私の腹筋には相当こたえます。さらにはこんなことをされていると途中で笑いが出てきまして、笑うと腹筋が出来ないんですね。

そんなこんなで傍から見るとかなり不気味な筋トレになっています。

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2006年01月25日

テレビ

うちのテレビは寒くなると映りが悪くなります。アンテナの具合なのでしょうが、それでもなぜかテレ朝と日テレはよく映ります。

最近はどこの局をつけてもホリエモンばかり。どーでもいいよねえ。

で、耐震強度偽装問題はどこにいったの?ホリエモンのおかげで少し影が薄くなりましたね。このままなし崩し的に迷宮入りにしてしまおうぜ。

自分たちが騒ぎ立てることで時代の寵児に仕立て上げておいて、今度は悪人としてまたまた一儲けですか。マスコミもやるもんだねえ。

どこかの局が映画、スポーツ、アニメくらいをひたすら流してくれないかなあ。ニュースも事実だけを端的に伝えれくれれば半分の時間で3倍くらいの情報量があると思うんだけどねえ。くだらない解説なんて必要ないし、必要と思ったら自分で調べますよ。調べられない人にとっては必要でない情報なわけだしね。

さて、地上デジタル放送になって何か変わるのかな。放送内容が何も変わらないのであれば新しいテレビのン十万円という出費は無駄になるねえ。

あ、そうか、電器メーカーにとっては無駄じゃなかったんだ!

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2006年01月24日

総合学習

今日は広島の中学校で総合学習の授業に参加してきました。

「働く人に学ぶ」というテーマでいろいろな職種の人が講師として呼ばれ、話をしたり質問を受けたりという内容でした。

対象が中学1年生ということで、百姓の専門的な話や難しい問題についての話を伝えることは難しく、また時間も30分と限られていたので、今回は一番身近な「食」の問題を通して「農」のあり方を考えてもらうきっかけにでもなればといった程度の話しかできませんでした。

子供たちは皆まじめに話を聞いてくれ、準備不足でまとまりのない話をしてしまった私のほうがかえって申し訳なく感じてしまう次第で、なんともはや・・・
でも久々に子供たちの前で話をする機会を与えてもらえ、楽しいひと時を過ごすことができました。やはり頭の凝り固まった大人たちと違って「打てば響く」とはまさにこういうことなんだろうな、と子供たちの純真無垢さに改めて可能性を感じました。
こうした次代を担う子供たちをどう育てていけるのか、社会の、そして大人たち一人一人にかかっているんですね。

私の拙い話が少しでも「食」と「農」について考える契機になってもらえれば言うことないのですが。

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2006年01月23日

牛肉

アメリカ産牛肉がまたまた輸入禁止になりましたね。危険部位が入っていたからだとか。

どーでもいいよねえ。狂牛病になるとかならないとか。

肉食に偏っていたら狂牛病になるのが先か、他の病気になるのが先か、結果は似たようなもんでしょ。食による健康とか自分の生き方について本気で考えないのであれば好きなものを好きなだけ食べてた方がある意味幸せかも。それなら安くて自分の嗜好にあったものをどんどん食べよう。

栄養がどうとか、安全性がどうとか、能書きなんてどーでもいいから気にせずいこう。こんな能書きなんて嘘ばっかりだからね。本当に考える人は自分で真理を見つけようとしているから問題なし。

そもそも食事を変えただけでは何も問題は解決しないし、おそらく食事だけを変えようとしても無理だろうな。あらゆることが複雑に絡み合っての今の食事のあり方だから。

ほんと、BSE牛の脊髄よりもやばいものを毎日食ってるのに気付かず、アメリカ牛だけに過敏になってるって滑稽だね。

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2006年01月22日

玄米

今晩から玄米食復活です。去年も冬場は栄養不足を補うために玄米を食べていたのですが、いつの間にやらまた白米に戻っていました。

先日友達に紹介されて読んだ本で玄米のことも書いてあり、せっかくあるんだから有効にいただかないと、と思い今日から再開です。
そもそも米は玄米で保存しているわけだからこれで米をつきに行く手間も省けます。炊くのに白米よりも時間がかかるのが難ですが、圧力鍋を使っていますので、30分少々で炊き上がります。ちなみに白米だと10分くらい。

「白米と書いて粕と読む」とはうまく言ったものでして、栄養価など人体に与える影響を鑑みてもまさにその通りになっているとは漢字の神秘です。この字が生まれたころには栄養価の分析などなかったはずなんですよねえ。

そうそう、圧力鍋を使って米をたきだしてから思ったのですが、何でみんな電気釜で炊くんだろう。時間もお金も莫大かかって炊き上がった米までまずい。いいとこないよねえ。
タイマー機能がないとかいうことをよく聞きますが、圧力鍋だと味噌汁ができるより早く米が炊けるからタイマーも必要ないのにねえ。(白米の場合ですが)

さすがに味で比べると歯釜には勝てませんが、電気釜よりは数段美味いですよ。最近は電気釜でも圧力タイプが増えてきているのもその証でしょうね。

皆さんもそろそろ「脱電気釜」してみませんか。

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2006年01月21日

雪はどこへ

今日から雪が降るとの予報でしたが、結局降らず。夕方チラッとだけは降ったのですが、それだけでした。まあ、降らないのであればそのほうが助かるのですが。

12月に一年分降らせきったのではないかと思われるほど年が明けてからは降りませんね。来週は旧正月、つまりは暦の上では春に突入するわけですからこのまま春に向かってくれるとうれしいのですが、そうはいかないでしょうね。

そうそう、バイトが決まりました。来月6日から実質10日くらいですが、豊平の図書館で蔵書の整理です。時給も安く、時間も短いのでたいした稼ぎにはなりませんが、それでもかなり助かります。何より暇をせずにすみます。

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2006年01月20日

易きに流れるは人の性

昨日、今日とそんなことを考えさせられる現場に直面し続けています。具体的には書けませんが、これが田舎をだめにしているんだろうな・・・
ふと鑑みれば、これは別に田舎だけのことに限らず都市民も含め全般的に当てはまることなのですが、悲しいことです。

以前農業技術について書いたか書いていないか忘れましたが、その問題に限らず日常生活一般においても、全く同じ結果になるのであれば楽にできたほうがいいに決まっています。しかし、それが他に悪影響を及ぼす危険、もしくはその可能性がゼロとは言い切れない場合、熟考の必要があると考えるのは単なる世間知らずなのでしょうか。

ただ単に「他への迷惑、悪影響」の捉え方が人によって温度差があるという見方もありますが、全体を見渡す視点からの発想に主観論を持ち出すのは矛盾していますよね。となるとやはりさし当たっての被害がないから目を背けているだけなのかな。

「被害が出るまで警察は動かない」などとえらそうに論評していても同じ穴の狢か。
ま、私も心当たりがないわけではないのでまだまだ努力する必要はありますがね。

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2006年01月18日

岐路

本日通夜での話。

以前にも書きましたが、私のいる地域では葬式などの時には部落の人が手伝いに出ます。が、今は農協葬が主流となり、昔と比べるとその役割も小さくなってきています。

街での葬儀のように全て業者(農協)に頼んでしまうこともできるのですが、そこはそれ、やはり昔からの付き合いなどがありますので帳場や勝手などの準備や世話は部落の人間でやっています。

農協にお金を払い、さらに部落の人たちにも御礼をするということで当家の負担が増えるのではないかというところからの話。無駄なことはやめてもっと簡素化してもいいのではないかという意見と、そうもいかないという意見がぶつかります。

一見、意地や感情だけのぶつかり合いのように見えるこの議論も実は奥が深く、人口の減少(特に若い世代の)や地域の生活文化のあり方、各家庭の生活スタイル、葬儀の意義などといったさまざまな問題が複雑に絡み合っています。

今の私にはどちらがいいとは結論を出せませんが、昔は日本全国どこにでもあった風習がいわゆる近代化、都市化の中で消えていく過程が今まさに私の身の回りで起こっているのかもしれません。

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2006年01月17日

訃報

また一人部落の人がいなくなりました。つい先週の雪下ろしのときに寺に来てくれ、一緒に作業をした人でした。以前から心臓を患っていたのですが、それが急に悪化したようです。

一人で暮らしていた人だったので、発見が遅れ今日になって見つかったようです。新聞のたまり具合からして2日前になくなっていたのではないかと思われます。

新年会でも一緒に酒を飲み、部落の行事でもともに活動した人が突然他界するというのはなんとも複雑な心境にさせられます。どうもまだ実感がわかないのです。

高齢者の一人暮らしは現在田舎では増え続けているのですが、今回のように心臓発作のような場合、もし同居人がいれば助かったのではないか、などという思いも拭い切れないわけです。

病気を抱え、年をとった親を一人で家においておくというのはどうなんだろう・・・現代では家族ってそんなものなのでしょうか。
つい2ヶ月前に祖父を亡くした身としてあまりにも寂しい出来事でした。

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2006年01月16日

とんど

昨日はとんどでした。で、呑みすぎてまたまた更新してませんでした。

私は今年で2回目の参加となったとんどですが、天候にも恵まれ無事終了。鏡餅も寺のお供え分とあわせて焼くことができましたし、早速今日そのお餅もいただきました。

とんどの火に当たる、そこで焼いたお餅をいただく、というのは一種の健康祈願的な意味合いがありますが、よくよく思い返してみると日本の伝統行事と呼ばれるものはたいていこの健康祈願か豊作祈願に端を発しているようですね。

豊作と健康、本来はこれが満たされていればみんな幸せに過ごせていたのでしょうね。
以前からこのブログでも何度か触れましたが、今は「行事=単なるイベント」となっていますのでそうした根源的な意味合いは薄れていき、半分金儲け的なものも増えてきてはいますが、今回のとんどでは全てが地域住民のボランティア、持ち寄りといった形で行われておりまだまだ捨てたもんじゃないなという気にさせてくれました。


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2006年01月14日

体力

先ほど10時ごろに帰ってきました。
広島に出て何をしていたかといいますと、バスケットの試合です。メンバーが足りないということで友達のチームに参加してきました。

運動会のときもそうでしたが、たまに運動をすると毎回体力の衰えを感じます。特にバスケットというスポーツは年齢的にも20代までくらいが存分に動けるようなハードなスポーツですので、なおさらです。

それでもずっと続けて動いていればここまで疲れることもないのでしょうが、長いことスポーツをしていないわけですから体が動くわけがありません。

ということで試合に出るといってもフル出場するわけではなく、途中途中で3分とか5分とかといった具合です。それでも存分な働きができるわけではないので単なる人数合わせ的な役回りですね。

10年前くらいの一番元気だったころと同じようにプレーができるようになるというのは生物学的にも不可能な話ですからそんなことは望みませんし、しようとも思いませんが、それなりには体が動ける状態にはしたいとは思いましたね。やはり体が元気に動くというのは気持ちのいいものですから。

当然これは相対的なものではなく、自分の中での満足感による絶対的な基準をもとにするしかないのですが、さすがにここまで年齢的な衰えを痛感させられると高望みはしなくなるものです。自分の年齢、今の体力、生活の在り方などを踏まえたうえでの基準がうまく出来上がってくるものですね。

まあ、これも実際に運動するか否かが一番大きな問題なのですが・・・

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2006年01月12日

雪下ろし

初めて屋根の雪下ろしをしました。

以前から庫裡の裏手の雪が屋根と繋がっていまして、一度おろしておいたほうがいいだろうという話が総代から出ていました。で、今日数人が集まっておろしたわけですが、私は屋根に上がって雪を下ろすというのは初めての経験でした。

本来高いところは苦手なのですが、雪がたくさんあると意外と平気なものですね。雪があると普段上れないような傾斜のところでも安定して立っていられますし、かなりの重量がかかっても簡単には崩れないものです。
これは今朝がかなり冷え込んで(-8℃くらい)雪もしっかり固まっていたからなのですが、経験者の人たちと一緒に作業したということでかなり助けられています。私だけだとどこまでが安全なのかはわかりませんでしたからね。

私以外の人は全員70歳前後と平均年齢は高めだったのですが、小さな機械などもありましたので午前中だけで割合早く終わりました。

しばらくは暖かい日が続きそうな予報ですので、雪も少なくなってくれるといいのですが。

明日は実家に泊まる予定ですのでブログはお休みさせてもらいます。なんでかということはまたこちらに帰ってきてから報告します。

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2006年01月11日

豪雪

今日は一日快晴。おかげで久々に布団が干せました。
12月に積もり積もった雪も今月に入ってからは徐々に少なくなり、だいぶ楽に動けるようになっています。

ということで今回の「豪雪」は私のいる場所のことではなく、北陸・東北あたりの話です。あちらでは雪が一向にやまず、ついに孤立状態に陥った集落があるとか。

こうした雪害のニュースを聞くたびに感じるのは過疎のことです。若者がいないから年寄りが無理をしてでも雪下ろしをする。結果事故になり死者も出る。

生活のためと称して都会に出るのはまだいいとしましょう。しかしこれだけの被害を報道で知ってなお我が故郷に残る両親をほうっておくというのは理解し難いことです。
当然戻って雪かきを手伝う人も大勢いることとは思います。報道されていないだけで。しかし雪の被害で亡くなったお年寄りが全員身寄りがなかったとは考えられないのです。

今日、寺の総代さんと話しをしているときにも昭和38年の豪雪、いわゆる「三八豪雪」の話が出ました。当時は重機などほとんどなかったようですが若い人手がたくさんあったそうで、人海戦術でも何とかしのげたという話でした。

こうして考えてみると農業のことだけでなく、生活一般においても田舎にこそ若い力が必要なのだとつくづく思いました。

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2006年01月10日

穏やかな日

今日は午前中少し雪が降ったものの午後からはいい天気。朝もそれほどの冷え込みではなく穏やかな一日でした。

今日も一日中山間地集落協定の会計仕事をしたり葉書を書いたりでのんびり(ダラダラ)過ぎていきました。
この「中山間地・・・」とは国の交付金制度でして、中山間地の農地保全のために御上の指定するような活動をしていればお金をくれるというものです。(ごく簡単に言うと)

当然お金の使い道やその収支報告などは結構うるさく言ってきますので会計の仕事も楽とはいえません。いや、去年までは結構いい加減でもよかったようなのですが、今年から厳格になったというほうが正確かもしれません。ま、公金をもらってるわけだから当然の話ですが。

なんか少しのお金をもらうためにいろいろと制約がかかるというのも鬱陶しい話でして、この制度への参加を見直そうという話も来月の臨時総会で提案していくつもりです。
自分の農地を自分の好きなように使えないというのは農村の発展には障害ですものね。そもそも国の施策としては中山間地のような零細農家は冷遇するようになっているわけですから、こちらはこちらで思うようにやらせてもらいたいものです。
そのほうが楽しく百姓できますし、それがひいては集落の発展にも繋がる気がするのです。

うーん、テレビのマジックが気になる・・・

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2006年01月09日

初常会

今日は酔っ払ってます。午前10時から今年初めての常会、初常会がありまして、その後部落の新年会へと。先ほど17時30分くらいまで呑み続けていました。

その間さくらはずっとお留守番ということでかなり遊び足りない様子。散歩には行っているのですが、まだまだ遊べと今私の傍らでしきりに催促をしています。

今ひとしきり遊んだのですが、さくらは満足してくれません。とりあえずこちらを先に片付けてからにします。

といいましても今日はそれ以上の話題があるわけでもなく、楽しく新年会で酒を飲んだということだけです。とにもかくにも恵まれた場所にいるなという実感だけが募ります。

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2006年01月07日

錯覚

夕べからの雪は今朝で20cm、夕方には30cm近く積もったでしょうか。

おかしなもので先月にあれだけ大量の雪を見せられた後だとこの程度の雪では「少ないな」と感じてしまいました。でもよくよく考えてみると決して少ないという量でもなく、また今までの貯蓄もあるわけですからトータルで見ると結構な量が眼前にはあるわけです。

こんな錯覚があるから、新潟県知事は自衛隊派遣の要請を出さないのでしょうか。それとも山村が雪で崩壊しても気にならないのでしょうか。ま、自分は街中にいるんでしょうからね。

さて、話は変わりますが、友人が昨日新しいテレビを買ったとか。地上波デジタル対応型液晶テレビです。家電量販店の店員の話では売れ筋は20万円~30万円のものだとか。大きさは同じでも画質のよい1ランク上のものになると50万弱。でもこれが結構売れているとか。

こんな話を聞いているとやはり景気はかなりいいんだろうと思ってしまいます。定率減税廃止くらいで騒ぐ必要もありませんね。

それより何より5年後には貧乏人はテレビも見られなくなりますね。それまでに少しでも稼いでおくことを考えようかな。ま、相変わらず貧乏ならテレビなくってもいいかな。

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2006年01月06日

野菜高騰

特筆するようなこともなく一日が過ぎましたので、今日は少し時事ネタを。

この冬は低温や大雪、少雨のために野菜が高騰しているようです。一昨年だったか台風や長雨の時も同じようなことがありましたね。

「高い」「高い」と騒いでいますが、おかしな話です。
南国はいざ知らず、この時期にキャベツやレタスなんかないのが自然。あるはずのないものをあると思い込み、騒ぐ。これが一点。

自分の食べるものを我が手で確保するという営みをやめた生き物が値段や量に困った困ったと嘆いている。これがもう一点。

豊富にあるときにはなんにも考えないが、いざなくなってくると大騒ぎ。石油ショック時のトイレットペーパーとなんら変わりがないのですね。

我々の命をはぐくむ源になっている食べ物を経済論理の範疇に投げ込んだ時点でこの現象は当然の結果なのですが、だからこそ私は言いたい。
食べ物も商品としてしか扱わないのであれば、なくなったときには諦めなさい。諦めきれないようなものであれば単なる売り買いから離れた付き合い方をしなさい。

ま、いくら口で言っても実際にそこまで追い込まれないと気付けないのが人間の性ですから、私は自分とそれに繋がる人たちが生きる道を勝手に追い求めているわけですが。

別にそんな時代が本当にやってくるとかどうとかいうことは知りません。でもどんな状況になっても身の周りの人たちだけでも守れるようにはなりたいですね。

自分の買い物の尻拭いまで逆切れして要求できるような生き方は見苦しいと言うよりも悲しいですから。

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2006年01月05日

油断大敵

昨日は弟の誕生日でした。姉が気を利かせてケーキを買ってきていたのですが、私は食べる時間もなく、また呑み過ぎのせいか疲れのせいか腹具合があまり芳しくなかったので昨日は食べずにこちらに一つだけ持って帰ってきていました。

先月来寒いので冷蔵庫は必要なく、よって電気代節減のためにも電気を抜いて使っていません。必然的に本来冷蔵庫に入れておくような食品も寒そうな場所を選んでおいてあるだけという状態で、このケーキも例外ではありませんでした。

さて、今日になりケーキをいただこうと見てみるとなにやら上の生クリームとスポンジの一部が食されている模様。

さくらか?・・・・よく考えてみましたが、昨日そこにケーキを置いてからさくらがその場所に侵入できたはずがありません。となると犯人は決まっています。

ねずみでしょう。この冬はこれまでねずみの被害が全くなかったので安心しきっていました。雪が多すぎていたちも家には入ってきていませんでしたので、同じように考えていましたがこれが大きな間違い。

ねずみはもともと家の中にいるんじゃねえか!

どういう理由かは知りませんが、たまたまこれまでは姿を現さなかっただけのこと。忘れたころにやってくるものですね。

よりによって年に何回口にするかわからないケーキのときに限って・・・別段ケーキが食べられなかったことが悔しいわけではありませんが、弟の誕生日に姉が買ってきたものとなると少々事情が違ってきます。

こればかりは私の不注意が招いたことですのでどこにも文句を言っていく場所はありませんで、哀れケーキの残りは鶏の餌に・・・

さくらが食べたんだったら気にせず食べられるのですが、さすがにねずみが這いずり回ったあとでは間違いなく当たりそうなので口にする勇気はありません。

すまぬ、姉弟よ・・・

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2006年01月04日

帰ってきました

先ほど大塚へ帰ってきました。1日から今日まで実家で3日間ものんびりさせてもらったのは久々かもしれません。

実家では特に何をしていたというわけでもなく、2日に高校時の同級生とのみに出た以外は家でダラダラ。今年は喪中ということで年賀状を出していませんので代わりのご挨拶として寒中見舞いはがきを作成したりもしていましたね。

さて、こちらに帰ってきたからと言っても特に急務が待っているわけでもなく、冬ごもりをしながら春からの作戦を練るだけなのですが、今年は何かと転機に当たる年になりそうなので充分な準備をして臨みたいと思っています。

3が日中は雪が降らなかったのでこちらに帰ってくるときもとても楽に帰ってこられました。私が実家に向けて出発したときよりも雪の量も減ってくれていたので助かります。と言いましてもまた明日からは雪がやってきそうな予報となっています。今年の冬もまだもうしばらくは続きますので気を引き締めなおしていきましょう。

あ、年賀状をいただいた方、ありがとうございました。特に喪中だからといって「年賀状をよこすな」と言うのもどうかと思い、何もご連絡をしていませんでした。我々家族も特に喪に服しているということをしているわけでもなく、またであった人とは「おめでとうございます」などと挨拶も交わしているので私から進んで年賀状を出すのはあまりにも慎みがないようですが、寒中見舞いにて祖父死去のご報告程度で済ませていただこうと考えました。
ま、祖父がなくなったのが年の瀬に近く法事などでバタバタしていたということも大きな理由ではあるのですが。

ではまた今日からブログの再開です。

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2006年01月01日

2006年

年が明けました。先ほど寺での鐘つき(初詣)が終わったところです。今年も雪が多いせいか、参り手が少なかったです。

さて、これから寝て起きたら私もしばしの帰省を。

では今年もよろしくお願いします。

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