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2006年05月26日

雨上がりの悲劇

今日は午後から雨の予報が朝から降り始めたのでお休みにしました。昨日少しがんばって多めに除草機を押していたので少し安心して休めます。田んぼについてだけですが。

先日書いた狐の親子はその後も懲りずに毎日のように山から降りてきていました。昨日も子狐だけのときにさくらに襲われ、危機一髪のところを何とか助けていました。

今日、昼寝から起きると雨が上がっていましたので少しさくらを遊ばせようと放したときでした。また例の鳴き声がするので現場へ急行。が、一足遅かったようで子狐は既に瀕死の状態でした。外傷は見当たらないものの半分白目をむいてひくついていました。

とりあえずさくらを連れて帰り紐につないだあと様子を見に行きましたが逃げそうな気配もなく、こりゃあダメだと思いました。
せめてどこかに埋めてやるかと長靴に履き替え再度現場に行ったちょうどそのとき母狐が子狐を咥えて逃げていきました。

果たしてもう死んでいたのか、それとも山に帰ってから息を吹き返したのか、結末は分かりませんが生存の可能性は低そうです。

思えば今まで狐には散々悪さをされ、困ってはいました。畑やボカシ肥料に入れていた生ゴミは荒らされる、烏骨鶏も2年続けて合計8羽も食われる、本堂にはウンコたれて逃げるといったことがなされてきました。

山から人里に下りてきて悪さをしていると即害獣という扱いを受け、即駆除という方向に進みがちです。人によっては今回のような話をすると「さくら、ようやった」と言ってくれる人もいるくらいです。

確かに自然界は厳しくこうした末路をたどる生き物などいくらでもいます。が、本来山で暮らし人里にはあまり近寄らなかった動物たちが人里に降りてくるようになった原因は人間が作っているわけです。

うちの環境で言うと、裏山は100mも歩けば高速道路にぶつかります。そこで山は分断され、環境は高速完成以前とは激変していると聞いたことがあります。
加えて山は荒れ放題。杉・檜といった針葉樹の乱植と適度な手入れがなされなくなったこととによって獣たちの食料は激減しています。
70代くらいの人と話をしていると子供のころは猪に出会うこともまずなかったということです。

一度里に下りて簡単に美味しいものに大量にめぐり合えば、獣のみならず人間だって病みつきになるのは当然です。実際現代人の「便利病」もメカニズムは同じことですから。

と、こんなことを考えていると今回の子狐の死も、あながち自然界の摂理と割り切ってしまえず、人間社会の悪行が生み出した犠牲とも捉えられるわけです。

それにしても猟犬の性とはいえ、どうもさくらは小動物に対しての残虐性が増してきている気が・・・

2006年05月26日 18:06

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Comments

毎年思っていたのですが、ウルトラマンさんのご実家は同じ北部でも田植え時期が遅いのですね。栽培品種の違いもあるのでしょうが、気候もやはり違うのでしょうね。

投稿者 kenzo : 2006年05月27日 21:54

いよいよ私の岡山県北の実家も田植えです。私は都合で帰省できませんが、米もいろいろな過程を経て出来るのですからね。

投稿者 うるとらまん : 2006年05月27日 09:08

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