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心のもつれを探る
今週に入って急に寒くなってきました。現在気温は15℃を下回ってきました。天候は相変わらず雨模様が続きます。
だからというわけではないのですが、ここのところ気分がすっきりと晴れません。こうなってくると当然生活リズムも狂ってきますし、食事も乱れてきます。
どこが引き金となり今のような悪循環に陥っているのか、自分なりに自己分析をしてみました。
心の中にある願望があります。これは日々の生活の中、つまりは日常において繰り返し行われる営みとは直接関係の無いものです。
否、よくよく考えてみるとその延長上に存在しているものかもしれません。
兎に角この願望を実現に結び付けたいという思いは日々強くなっていきます。毎日のようにこの願望について考えているとその思いが膨らんでいくというのはある意味当然の成り行きです。
すると今度はこの願望に対する実現可能性を考え始めます。果たして今の自分にそれが可能なのか。また、実現するためには何をすべきか。
しかし未知の事に対する思考というのは何も結論を導き出し得ません。
すると今度は実現不可能であった場合のことも考え始めます。ようはダメだったときの覚悟みたいなものでしょうか。
ですが、何もしないうちに諦めてしまうというのは先々に禍根を残すであろうという経験則からの判断により、できるだけのことはして通ろうと思い始めます。
では何をする?
あーしてみよう、こーしてみよう、と方法論はいくらでも浮かんできます。が、果たしてそれを為すことによって周囲にどういう影響を及ぼすであろう。
完全なる自己完結ですむ問題であれば、こういう悩み方はしなくてすみますが、一個の人間が社会の中で何か行動を起こすということは多かれ少なかれ他人を巻き込むことになります。
事の成否が問題なのではありません。私個人としては失敗に終わろうが「やるだけのことはやった」という自己満足は出来るでしょう。しかしそれに巻き込まれた相手はそうはいきません。
かといってやる前から結果の分かっていることなどありえないわけで、どんなことでも未知からのスタートということは変わらないのです。
で、あれば何を悩む。
その問題に関わる人達を傷つけたくないのか、それとも自分が傷つきたくないのか。
事はそんなに単純ではないようだ。自分が傷つくことはよしとしよう。しかし、それに関わる人達を傷つけるということは、その人達が自分と何らかの接点を持っている以上、自分に関わりのない影響とは言い得ないわけです。
だが、他人が傷つくのを見たくないというのは、その傷を自分がつけたという罪悪感から来るものかもしれない。となると結局は自己保身から来る言い逃れのようにも聞こえる。
人間、考えれば考えるほど動きが鈍ります。煩悶とせずに軽快に動ける時期があると思えば、その逆もあります。問題解決能力において得手不得手があるのでしょう。
さて、この問題、こうまで心がもつれるということは自分の行くべき道ではないと捉えるべきか、それとも乗り越えるべき一つの試練と捉えるべきか。この判断を下すには私の経験ではまだ材料不足です。
注
上記は私の独り言でありまして、具体的内容については誰にも話したことがありません。ということで私の心・思考のもつれ具合を苦しくなって吐露したものとお考えください。かなり抽象的な内容になっていますので、その実はお好きにご想像してもらって構いません。
くれぐれも断っておきますが、だからといって私が悩み疲れているとか、何も手につかないなどと落ち込んでいる類のものではありませんので、ご心配なく。
日々はそれなりに楽しく過ごしております(少しだらけていますが)。
2006年09月12日 23:08
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恋ちゃん、
そういえばそんな歌がありましたねえ。久々に思い出しました。
投稿者 kenzo : 2006年09月13日 22:02
夢を持っていることって素敵なことですね~。
Kenzoさんの日記を読んで、ある歌詞を思い出しました。
♪もしもほかの誰かを知らずに傷つけても絶対譲れない夢が僕にはあるよ♪
槙原敬之の「どんなときも。」の2番です。(世代がバレバレですが笑)。
「知らずに・・・」といってもそう思っている時点である程度気付いているんじゃないかと思います。
仕方のない時って人生の中ではあるんじゃないかと思います。その代わり夢が実現した時は思いっきり全てに感謝できればいいんじゃないかと思います。
投稿者 恋ちゃん : 2006年09月13日 21:50
助言ありがとう。確かに私もその通りとは思いますが、まだ頭と心が完全には合一していないようです。自分でもいらぬことを考えすぎているような気が・・・
投稿者 kenzo : 2006年09月13日 10:49
う~ん。
俺は常に「正しいことは実行される」(良くも悪くもカタチになる)と考えているので、kenzoの中でこの考えにまだ迷いがあるのだと思います。この文を読む限りでは、新しい行動のための決意をするまでの当然の過程に感じられます。
えらそうに書いてますが…。
俺自身は「素直に行動する」というのが今の自己の課題なのでそんな風にみえ、考えました。
投稿者 Anonymous : 2006年09月13日 09:45