« 2007年01月 | メイン | 2007年03月 »
花粉症
最近天気予報などではやたらと花粉情報などを報じています。つい20年も前までは病気としても一般的には認識されていなかったようなものが、いまや立派な国民病です。
花粉症の原因はといいますと、あやふやなまま「アレルギー」の一つとして片付けられていますが、ちょっと考えれば誰にでも分かることです。
昔なかった病気が蔓延しているわけですから、そんなものがなかった時代と現代とを比べてみれば原因はすぐに見つかります。私のようなおバカな百姓でもわかることです。
おっと、話は少し逸れましたが、花粉症の話を聞いていると群集心理の面白さに気付きます。
花粉症がまだ少数派だった20年位前は花粉症などと口にしてもバカにされて取り合ってもらえなかったのが一般的でした。病院では病人として扱われますが、世間一般では「そんな病気があるか」的な扱いです。
これが多数派になってくるとNHKのお天気コーナーでも花粉情報を報じるくらい重要視されます。未だに健全な体の持ち主は花粉症などどこ吹く風ですが、いまや花粉症をバカにすると完全に悪者扱いです。肩身の狭かった花粉症患者も悲劇のヒロインです。
さて、これが巷にあふれているありとあらゆる合成化学薬品のことになりますと健康被害の症例が少ないとあって、20年前の花粉症と同じようにしか捉えられていません。やはり近代民主国家においては過半数の人間が死なないと可決とはならないようですね。
しかもこれが自分の代では顕現しないとなるとしめたものです。「よりよい社会のために」とか言いながら後世に禍根を擦り付けて正義の人でいられます。
いまや田舎の酒席でさえ癌細胞論議が出来る時代です。科学の進歩は私達に何をもたらしてくれたのでしょうね。
とかなんとか言いながら、私、百姓のくせにイネ科の花粉症が治ってませんから・・・切腹!(そういえば「波多陽区」ってまだテレビに出てるのかな)
故障
今日は午前中田んぼの畔を削っておりました。田んぼの水漏れを防ぐためにこうして一度畔を削り、水を入れるときに泥で畔を塗りなおします。これだけでも結構な重労働です。
この田んぼ、去年私が作り始めたときには畔まで竹が侵入しておりました。竹のほうは少しずつ切り、なんとか畔が見える状態にまではしていたのですが、根がしぶといです。
今日、畔を削っておりますと出るわ出るわ、畔からのみならず伸びた竹の根が田んぼの中にまで進入しております。
で、頑張って根を掘り起こしておりましたが、鍬の頭が緩んできてすぐに抜けそうになります。竹の根が多くなってくると頻繁に頭が緩むので仕事になりません。
ということで途中で作業を諦めて鍬を直すことに。楔を打ち込みなおしておりますと、鍬が微妙に反っているのが気になりまして、それも修正しようと。
硬い根などを起こそうと力任せにてこを使いますと鍬そのものが曲がってしまうのです。ステンレス製だから仕方ないですね。
で、反対に曲げておりますと「あっ」ひびが入りました。小さいひびですが、肝になる部分ですので今後は強い力をかけると完全に折れてしまうでしょう。
やはりステンレスの鍬はこんなもんです。諦めてちゃんとした鉄の鍬を買うことにしましょう。これでも5000~6000円もしたんですけどねえ・・・
温室育ち
今日も春を思わせる好天。ですが、やはりまだ2月です、風は少々冷たいですね。こういう天気のいい朝はまだ-5℃近くまでは下がります。気温が下がるとは言っても寒気が来ているわけではないので雪にはなりませんが。
今日はゴミを片付けたり畑で草を焼いたりと少しばかりゴソゴソとしていたのですが、その中で玉葱をかまっていたときのことです。
秋に植えた玉葱の苗は冬の間に霜柱によって浮き上がってきます。今日は少し土も乾いていたのでそれを押さえていたのですが、浮き上がった苗のなかで寒さに耐え切れず溶けてなくなるものも結構あります。
去年街の方の人が購入した苗を植えたそうなのですが、それが結構余ったということで廻りまわって私のところにやってきました。ちょうど畑も空いていたのでもらって植えました。
その苗はかなり大きくて見た目は立派なものだったのですが、この冬の間で大半が溶けてなくなってしまいました。その隣で私が育てた苗はかなり小さく見た目も貧相なのですが、生き残りの割合は売り物よりは上です。
昨秋の玉葱の苗作りは私の中では失敗だったと思っているのですが、それよりも実質は貧弱であった売り物の苗。大方自然の営みは無視した「商品」としての育てられ方しかしていなかったのでしょう。
こういうものしか作らない(作れない?)側もどうかしていますが、物の本質を見抜く努力も何も出来ず一見立派そうなものにばかり飛びつく消費動向というものも病的な域に達してきていますね。
「大きいことはいいことだ」的な発送は一体いつになったらやめられるんでしょう。
先日の余剰野菜に対する「もったいない」発言やそれを受けての政府の対応などを見ていてもそうですが、「食べ物・自然の恵」を「商品・生産財」の一部とみなしてしまったことが根本的な間違いであるということに多くの人が気付いていないようです。
そもそも都市民の人たちをはじめ現代人の大半は「自然の中で元気に育った米や野菜(その他畜産物なども含め)」というものの姿は見たことがないはずなのに「これがいい野菜だ」などといっているのは何を基準にしているのか理解に苦しみます。
だって私でさえ究極の意味では「自然に育った野菜」というものの姿はほとんどお目にかかっていないのですから・・・
まあ、形や色艶のみならず味までもがいくらでも操作できる時代ですから「本質」なんてものは限りなく見えなくなっているんでしょう。その意味では「米」を一粒口にしようとすることが有史以来最も難しい時代なのかもしれません。
新年
昨日18日が旧暦の元旦。いよいよ2007年も始まりました。
ということで、というわけではないのですが、今日から百姓仕事のほうも少しずつ始動です。まだ田畑の土は乾いていないので本格的なことは出来ませんが、それまでの準備や種まき(ハウスで育苗するもの)などを少しずつ始めることにしました。
例年であればまだまだ雪がたくさんある時期ですが、今年は暖冬のおかげで現在雪は全くありません。これがいいことか悪いことかといわれると、間違いなく悪いことなのですが、目先のことだけを見ると動きやすくて助かると思ってしまいますよね。
とりあえず今日はキャベツ・サニーレタス・エンドウの種をまきました。これらは本来去年の冬前にまいておき、畑で冬越しさせていたものなのですが、昨秋のずれ込みから年末までバタバタしてしまい播けず仕舞いになっていたのでした。
とりあえず春の早いうちに播いて今から例年並みの時期に追いつこうという狙いです。
今年は早くから動き始めますが、まだ雪や遅霜の心配が皆無というわけではなく、むしろ今年はこれらの可能性が高いと踏んでいますので急ぎ過ぎないように気をつけようと思っています。
天気もいいし、気温も高めではありますが、田畑の土の状態はやはりまだ春本番とまではいえません。自然界の動きをよく見させてもらわないと人知だけでは痛い目に遭いそうです。
もったいない
北風が強くなってきました。予報どおり多少の寒気が入ってきているようですが、たいしたことありません。とても雪にはなりそうにありません。まだストーブも要らないくらいですから・・・
私のジャージです。↑
大学1年生のときから使っているものでして、早10数年。膝のあたりは穴が開きまくっていました。
連休中に実家で父から「みっともない」を連呼され、ようやく修復することに。確かに家の周りでフラフラするだけであれば私も気にしない人なのですが、外に出るとき、特に町を歩くときには少々恥ずかしいものがありましたし。
で、この当て布か。といわれそうですが、こんなのしかありませんでした。しかも「機関車トーマス」結構気に入ってます。「アンパンマン」も迷ったのですが、大きさと種類の多さで「トーマス」にしました。
さて、この当て布補修をしようと話していたときのこと。弟は「新しいのを買ったほうが安いよ」と言います。確かに500円も出せば安物ジャージの一本くらいありました。
でも安物はすぐに傷みます。長くは使えません。これは経験上からも一般的な意見からも間違いありません。
そこで今はいているジャージです。いい値段がしました。スポーツメーカーが作っている日本製品です。だからこんなに長く型崩れすることなくはけるのです。穴は開きますが・・・
いいものを直しながら長く使う、というのが一つの理由。もう一つは「使い捨て」に対する抵抗です。
財布の中身だけを考えると、新しく安いジャージを買ったほうが格段に安上がりです。この「トーマス」、大きいものが一つで500円弱、小さいほうでも2つで同じくらいの値段がします。つまりこの補修だけで2000円は使っているわけです。
しかしこれを直さずに新しいものに買い換えれば、このジャージはゴミです。しかも安物を買えば早晩それもゴミになります。
「いいものを直しながら長く使う」というのは無駄なものを作らせない、使わない、という「勿体無い」の原点ではないでしょうか。
「目先の利便性や経済性に踊らされ、大局を見失った国民性に未来はない」(厳密ではありませんが、こんな感じの趣旨)とは『国家の品格』でおなじみ藤原正彦さんの『祖国とは国語』での言。
「買い換えれば済む」的な発想からまずは改めていく必要があるのかもしれません。
ちなみにこのジャージの修繕は私の母がしました。私、裁縫だけはからっきしですので・・・
帰省?
先週9日午後より実家に戻っておりまして、先ほどこちらに帰ってきました。連休中ご連絡をいただいた方、ごめんなさい。
ちょうど10日、12日とバスケの試合に誘われていまして、特に急ぎですることもなかったのでずっと実家に居座っておりました。
連休中バスケの試合以外は特に何もせず、本を読み漁っておりました。なけなしの金をはたいてここ最近では一番のまとめ買い。財布の中身は少々寂しくなりましたが、それ以上の収穫がありました。
最近は本屋によってもなかなか魅力的な本が少なくなってきていたと思っていたのですが、これも半分は私の思考が停滞していたせいもあったようで、一つきっかけがあると「あれも、これも・・・」と芋づる式に読みたい本が見つかるものです。
買った本はまだ全ては読みきっていないので、もう少し楽しませてもらえそうです。本のおかげで先週まで澱んでいた心のモヤモヤも晴れてきました。ありがたい出会いです。
さて、しばらく食生活が変わっていたおかげで私の体は警告音を発しだしたようです。また今晩からは自然食に戻して五臓六腑をクリーニングしましょうか。
どうも今の私には現代食は3~4日が限界のようです。
無理しなきゃ
最近暇なものでテレビをつけている時間もいつもより長くなっています。ニュースや情報番組が目に入ることが多いのですが、最近「環境問題」や「農・食」に関するものが増えてきている気がします。単に私の興味を引くだけなのかもしれませんが・・・
どの番組もパターンは決まっています。
現代の抱える問題を挙げ、それでほぼ終わり。何をすべきかは具体的な提唱もなく、「一人一人が出来ることから・・・」なんてお茶の濁し方でスポンサーにも関係団体にも当たり障りのないところでまとめています。
「無理したら続かない」ともっともらしく言いますが、それってあまりにも危機感がなさ過ぎますね。今の状況は無理しないでも解決できる程度の問題ではない、と私は思うのですが、大多数の人にとってはそうではないようです。
世の中の進んでいく方向が見えるほど、こんなこと書いている自分がバカらしく思えてきます・・・最近筆が進まないのもそのせいなんですが・・・今日はとりあえず無理やり書いてみました。
正月まであと10日余。少し心の整理が必要です。
立春
長らくサボっておりました。この間何をしていたかといいましても、たいしたことはしておりませんでした。2月2日~4日の3日間だけスキー場が営業していたので、バイトに行っていた以外は特に何をするわけでもなく家で豆を選ったり、漬物漬けたり、漫画読んだり、確定申告の提出書類を作成したり、とまあ2週間でこのくらいのことしか思い浮かばないわけですから、だらけきった日々を過ごしていたわけです。
今日からまたスキー場もなくなったわけで暇な生活に戻りました。
それにしても「ぬくい」!今日の日差しはまさに春です。山は少し霞がかったように見え、それこそ春の風情をかもし出していました。
昨日は立春。暦の上では今日から春と言いますが、旧暦ではまだ12月の半ば。正式な正月は今月18日です。
昨日か今日のラジオでおバカなDJが「立春が旧正月なんです」なんてことを言っていたとか。暦を失くした日本人はここまで堕ちたか・・・
暇だ、暇だと言いながらも、今年は旧正月明けから百姓仕事も少しずつ動き出す予定。その前に消費者の皆さんに配る「今年の案内」も仕上げておかないと。
気候とともにボチボチ気持ちも春モードにしていきましょうか。