温室育ち
今日も春を思わせる好天。ですが、やはりまだ2月です、風は少々冷たいですね。こういう天気のいい朝はまだ-5℃近くまでは下がります。気温が下がるとは言っても寒気が来ているわけではないので雪にはなりませんが。
今日はゴミを片付けたり畑で草を焼いたりと少しばかりゴソゴソとしていたのですが、その中で玉葱をかまっていたときのことです。
秋に植えた玉葱の苗は冬の間に霜柱によって浮き上がってきます。今日は少し土も乾いていたのでそれを押さえていたのですが、浮き上がった苗のなかで寒さに耐え切れず溶けてなくなるものも結構あります。
去年街の方の人が購入した苗を植えたそうなのですが、それが結構余ったということで廻りまわって私のところにやってきました。ちょうど畑も空いていたのでもらって植えました。
その苗はかなり大きくて見た目は立派なものだったのですが、この冬の間で大半が溶けてなくなってしまいました。その隣で私が育てた苗はかなり小さく見た目も貧相なのですが、生き残りの割合は売り物よりは上です。
昨秋の玉葱の苗作りは私の中では失敗だったと思っているのですが、それよりも実質は貧弱であった売り物の苗。大方自然の営みは無視した「商品」としての育てられ方しかしていなかったのでしょう。
こういうものしか作らない(作れない?)側もどうかしていますが、物の本質を見抜く努力も何も出来ず一見立派そうなものにばかり飛びつく消費動向というものも病的な域に達してきていますね。
「大きいことはいいことだ」的な発送は一体いつになったらやめられるんでしょう。
先日の余剰野菜に対する「もったいない」発言やそれを受けての政府の対応などを見ていてもそうですが、「食べ物・自然の恵」を「商品・生産財」の一部とみなしてしまったことが根本的な間違いであるということに多くの人が気付いていないようです。
そもそも都市民の人たちをはじめ現代人の大半は「自然の中で元気に育った米や野菜(その他畜産物なども含め)」というものの姿は見たことがないはずなのに「これがいい野菜だ」などといっているのは何を基準にしているのか理解に苦しみます。
だって私でさえ究極の意味では「自然に育った野菜」というものの姿はほとんどお目にかかっていないのですから・・・
まあ、形や色艶のみならず味までもがいくらでも操作できる時代ですから「本質」なんてものは限りなく見えなくなっているんでしょう。その意味では「米」を一粒口にしようとすることが有史以来最も難しい時代なのかもしれません。
2007年02月20日 21:49
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恋ちゃん、
ありがとうございます。現代は情報が氾濫しているだけに、いかにそれに流されず「本質」を見極められるかが問われる時代でもあると思います。
自分がなにものであるか、という自問もそうですが、「本質」とは常に「自然」の中に答えがあるものです。
投稿者 kenzo : 2007年02月21日 23:06
Kenzoさんの日記はとても奥が深くて色々なことを考えさせられます。有難うございます。
内容はとても難しい部分もあるのですが、私も「本質」が見えにくい世の中だと、本当にそう思います。農作物だけに限らず「人」も情報に左右されたり他人に影響されたり、、、
本来の自分ってどんなだったかな?と立ち止まってみたくなるときがあります。
投稿者 恋ちゃん : 2007年02月21日 22:17