« 2009年01月 | メイン | 2009年03月 »

2009年02月25日

味噌作り

ただいま26日です。昨日更新し損ねたので一日遅れの内容です。日付は昨日のままになっておりますが・・・

昨年収穫した黒大豆を使って両親と一緒に初めての味噌作りをしました。ちょうど友達もうちに来ておりまして一緒に手伝ってもらいました。白大豆も作っていたのですが、充分な量を収穫できませんで、黒豆であればそれなりに量がありましたので、今年は練習も兼ねて黒豆で作ってみました。

材料となる黒豆の量はうちでとれたものが約2キロ。友人からもらったものが約2キロ。それぞれ別のかめで作ってみました。

まずは黒豆を煮ていくわけですが、量が結構ありますので圧力鍋では入りきりません。ということで歯釜を出してきて薪で炊きました。2時間ほどで充分なやわらかさになりました。

その後は去年買いました製粉機の味噌ユニットを使って豆をミンチ状にして、あらかじめ混ぜ合わせておいた米麹と塩と混ぜ合わせます。このときに大豆の煮汁も適量加えながらちょうどよさそうな柔らかさにしていきます。

これを団子にしながら甕の中に投げ込んで空気を抜きながら詰め込んでいきます。あとはラップで密閉して重石を載せたら完成。

一月くらいで水が上がってきたら適宜混ぜ返しなら数ヶ月寝かせて発酵させると味噌になるそうです。どんな味噌が出来るのか楽しみです。

ちなみに2キロの大豆で10キロくらいの味噌になりました。これが二つできたので合計20キロ。大豆の違いが味にどう反映されるのかも楽しみです。煮大豆の段階で味見をしてみたところ、豆の味はうちのほうが美味しかったです。これぞまさに「手前味噌」ですかね。

18:23 | コメント (38) | トラックバック

2009年02月15日

美人の湯

今日は部落の親睦旅行で島根県は美又温泉へ行きました。日帰り旅行です。「美人の湯」という看板でお肌がすべすべになるというのが売りの温泉のようです。

温泉につかっていると確かにぬるぬるとした感じになってきます。先月末から咽喉の調子がおかしい私も湯治とばかりにのんびり浸からせてもらいました。さすがに湯質がいいという評判だけあって、風呂から上がった後も体の芯からぬくもりが持続してくれます。

風呂に入っているときに部落の長老さんから聞いた話ですが、昔はこのあたりの若者は春が来る前には数人が一緒になって島根の湯元温泉まで歩いて湯治に行っていたそうです。一週間から十日はそこでゆっくりして春からの野良仕事に備えるということを毎年やっていたそうです。

私も来年からはそういう春の迎え方をしてみたいな、と思いました。が、周囲を見渡すと一緒に行ってくれそうな人がいないというのが悲しい現実です。俸給生活者ばかりになってしまった現代ではそんなゆとりはないんですね。

温泉湯治をしていた時代の人たちのほうが、今の人たちよりも貧しかったはずなんですが、おかしな話です。そもそも歩いて行っていたって言うくらいですから交通費すら惜しむくらいの家計だったんです。

「近代化」とか「進歩」とかいう言葉の裏にはいったい何があるんでしょうね。私はそのへんのことが分かっちゃったからもうどーでもいいんですけどね。

誰か来春から一緒に湯治に行きたいという人がいましたら一報ください。結構いいもんかもしれませんよ。

16:49 | コメント (6) | トラックバック

2009年02月12日

わら草履の会

去年に引き続き、今年も部落のおばさんたちとわら草履作りをしました。今年は先生抜きで自分たちだけでやってみました。

1年たつとさすがに細かいところを忘れておりまして、初めの一つ目はみんなで「あーでもない、こーでもない」と悩みながら作っておりましたが、徐々に作り方も思い出し、且つ不透明なところも何とか自分たちで工夫しながらそれなりに一通りの流れはできるようになりました。

2年目ということもあり、去年よりは形もそれなりにまとまってきまして、少しは出来映えを気にしながら作る余裕も出てきました。みんなでワイワイ言いながら、時にはおやつを食べながら楽しく作っておりますとすぐに時間がたってしまいます。朝10時ごろからはじめたのですが、お昼の時間をすっかり忘れてしまう勢いでみんな熱中しておりました。

このわら草履作り、よくよく考えて見ますと材料はわらだけ。道具としては鼻緒を通すときに使う竹を削った通しのようなもの(「オタテ」と呼んでおります)とはさみくらいしか使いません。乱暴な言い方をしますとわらと自分の手足があれば出来るという感じです。

自然界にあるものを材料にして、手作業のみで物を作るというのは現代的にみますと非効率的で面倒なことです。動力や機械を使ってボタンひとつで勝手に出来上がるという生産方法のほうが楽で進歩的だとされます。

しかし、私つくづく思いました。この手作業のものづくりというのは普遍的な価値観を備えているんだなと。時代がどう移ろおうとも、人間が生きている限り決して損なわれることのない営みなんですね。

それに対して「現代的」といわれる生産方法の根底にあるのは刹那的な近視眼的な価値観でしかありません。たまたま現代のような石油文明が歴史上の一瞬にだけ存在していたから活用できているというだけの話でして、普遍的真理として人間と共にあり続けるものではありません。

この「普遍」と「刹那」という価値観の錯綜が実は現代社会の中ではあらゆる局面で顕現化している気がしました。昨今巷を賑わしてきた詐欺まがいの事件や企業モラルの低下、食品の安全性の崩壊、もっと身近に置き換えるとお金と生活価値観や、子供たちの描く夢や進路に対する思いなどなど、至る所で日本人の生き方が「刹那」的な思想を孕んで生まれてきている気がしてなりません。

こうした社会問題に対して世の偉い先生方はいろいろと対策を講じようと苦慮なさっているようですが、実はわら草履を作るというなんでもないようなことの中に解決の糸口が隠されているのかもしれません。

17:44 | コメント (1430) | トラックバック

2009年02月09日

始動

またデジカメ不調です・・・この程度の気温でボイコットですか・・・ということで今日も写真なしでおおくりします。

今日はいよいよ米作りの第一歩。塩水選をしました。去年収穫した米の中から今年の種籾を取っていたのですが、それを選別する作業です。

種籾と一口に言いましても玉石混交でありまして、その中から活きのいいものだけを使いたいわけです。去年はこの段階で失敗しておりまして、劣弱なものが結構混じってしまったようです。おかげで苗の出来が悪く、当然そうなると最後まで尾を引くという結果に。

今年はそうならないように強力に選別をかけました。通常よりも比重を高くした塩水に籾を入れ、底に沈んでいるものだけを残します。その際中間に浮遊するものも当然出るわけですが、今年はそれすらも完全に排除するという徹底ぶりです。

例年よりもかなり手間はかかりましたが、これで優秀な種籾を選別できたことと期待してます。やはり何の生き物でもそうですが、次世代のためには優秀な遺伝子を残していかないと子孫の繁栄はありませんね。

そもそも自然状態であればこんなことしなくても、冬の間に弱いものは死んでいき、春には元気なものしか生き残っていないという状況が勝手に出来上がっているんですね。稲作という人工的なフィールドにはめ込むからこういう手間も生まれるわけですが、現段階での私の生き方においてはこれはこれで仕方のないところです。

さて、この次は種籾についている雑菌を酵母菌を駆使して食べつくしてもらうといういわば殺菌作業に移るわけですが、今日は時間切れで塩水選まで。今から一月半くらいの間はこの殺菌と平行して浸水期間に入ります。

発芽しやすいように充分に水を吸わせてやるわけですが、これを一月以上続けておりますと催芽も同時に出来るので早目から浸けておくわけです。一般的なやり方では2週間くらい水に浸けるとあとは電気を使って催芽をするのですが、私はこの装置を使うのが面倒なので浸水期間を延ばしているというわけです。

今年は早くに雪が溶けてくれたのでこんな時期から米作りを始動することができます。やはり毎年このときは期待感と不安が半々ではありますが、、気分は無性に浮かれてきますね。

17:36 | コメント (8) | トラックバック

2009年02月07日

春の香り

やりました!久々の写真です。暖かくなってきたのでそろそろデジカメもいい子に動いてくれるだろうと充電しなおしました。

今日は友達がソバ打ちにやってきまして、本当はソバ打ち風景を写真に収めようと思っていたのですが、すっかり忘れておりました。で、代わりというわけではないのですが、今年初めてフキノトウを見つけましたので、その写真です。

例年よりも早く雪が一旦消えてくれましたので、もしかしたら出てるかなと探して見ますとありました。今日はまだ5個だけでしたが、この時期にフキノトウの香りを楽しめるとはうれしいものです。

去年は同じ場所でかなりの数を取りましたが、それは3月の初めごろのことでした。まだ2月ですから今からたくさん出てきてくれることでしょう。

初物だからでしょうか、香りが強めに感じます。今日採ったものは私の好きな蕗味噌にしようと思っています。これでまたご飯が進むなあ。

17:38 | コメント (2) | トラックバック

2009年02月05日

春遠からじ

立春を過ぎました。というわけでもないでしょうが、ここのところ安定して気温が高めに推移しております。ここまでのところ私の予想通りに「早めの春」という感じで来ておりまして、雪もかなり溶けてくれました。おかげで数日前から夕方のさくらの散歩は靴で行けます(朝は路面が凍結しているので冬用の長靴)。

例年であれば1月下旬から2月の上旬というこの時期は一番冷え込みがきついのでありますが、今年は違うようです。新暦1月の26日に元旦を迎えた今年の暦は寒試し(冬の間に今年の気候を予想する民間予報のひとつ)の傾向から見ても春は暖かめに推移しそうだとは思っていたのですが、この時期にこれほど雪がないというのも拍子抜けの感が否めません。まあ、このまま春が来るということはありえないと思いますので、まだ何度かドカッと雪がくるとは思いますが、周囲の景色がこうなってきますと気分は春モードになりまして春作業のことやら今年一年の計画やらと少しずつ頭が回り始めます。

ということでこの数日の間にとりあえず確定申告を片付けまして(提出期間はまだ始まっておりませんので清書はしておりません)、今は春からの作付け計画を練るべく暦とにらめっこをしております。

と、ここで今年の大きな悩みが。今年は5月に閏月が入ってくるんですねえ。ということで夏が一月増えまして4ヶ月もあるということになってしまいます。これをどう読むかで私の思考はストップしてしまいました。

単に夏が長いというだけであれば春をゆっくり目にすればよさそうなものですが、寒試し通りであれば秋の冷え込みが早くなるかもしれません。そうなると春は暦どおりに動き始めたほうがよさそうですし・・・うーん・・・この閏月をどう捉えるかで全ての動き方が変わってきます。

このことで身動きが取れなくなっているのは野菜のほうでして、特に春から夏にかけてのものをいつ蒔こうかで結論が出ません。とりあえず今のところはダブルスタンダードとでも言いましょうが、どちらにでも対応できるように早めに準備はしておいて最終的にはそのときの周囲の自然の動きを見ながら決める、というくらいのことしかできませんね。

と、ここまで考えてくると未だに工業生産的な発想から抜け切れていない自分に気がつきます。暦に対する不勉強というのは言うまでもありませんが、それと同時にカレンダーを見て計画を立てるという現代人的な悪癖も拭い去れません。特に近年では自然の動きってそうじゃないんですよねえ。

異常気象が叫ばれ始めてから久しくなりますが、それでも自然界の営みはそれなりに全うされているものでして、私たちだけが順応できていない部分ってかなりあるような気がするんですね。

おっと、またまた話が横道に・・・どうも暇がありすぎると寄り道しすぎていけません。そもそも我に返ってみると私の予想が当たる確率のほうが低いかもしれませんから、「下手な考え・・・」ということにもなりかねませんな。

17:19 | コメント (2) | トラックバック

2009年02月02日

声が出ない

夕べは大学時代の同期会がありまして、広島で呑んでおりました。

先週からの咽喉の不調は完全には治っていなかったのですが、「まあ、楽しく呑んでりゃ治るだろ」と安易に考えておりました。久々の集まりでしたし、今回はお祝い事でもありましたのでそれは楽しく呑ませてもらいました。

そして大いにしゃべりまくって楽しく帰宅。そのときから少し咽喉のほうは「使いすぎた」感があったのですが、案の定、今朝起きてみますと声が涸れておりました。

今はそれほどでも無くなりましたが、今日になってのこの咽喉の感じ、明らかに昨日までとは変わっております。まだ治ってはいないのですが、快方に向かい出したという感じがしています。昨日まではおとなしく寝ていてもなかなか快方に向かっている感じがなかったのですが、おもしろいものです。

何事もそうなのでしょうが、行き着くところまで行き着くとあとは逆方向にベクトルが働きだすということのようです。熱が出たときもそうですが、熱が上がるところまで上がってしまえばあとは下がる一方。虫刺されで腫れたときもとことんまで腫れきってしまえばあとは収束へ向かう。

まあ、その症状で死ぬところまでいってしまうような状況は別物ですが、一般的に自分の力で自然に回復できる程度のものであれば、そういうものなんでしょうね。あらゆる苦しみもとりあえず一度峠までは耐えなければ次の領域には進むことが出来ません。

この法則って自分の体のことだけでなく、社会における病であるとか、自然界における病だとかにも同じように当てはまる気がしてます。そしてその苦しみを乗り越えたあとで、いかにそれまでの自分の生き方を反省できるかという点でその後の生き方に差が出てくるんでしょうね。

とまあ、こんなこと言っておきながら明日から咽喉が悪化したらお笑いです・・・そもそも私も反省が足りない人間ですからねえ。

19:06 | コメント (10) | トラックバック