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依存症
長らく更新をしておりませんでした。半分はいつもの怠慢です。もう半分はPCの故障でした。
今週月曜日に一日家を留守にしておりまして,夜帰ってみると・・・ネットにつながらなくなっておりました。
翌日近所の人に話を聞いてみますと,かなりの雷雨があったそうでして,何箇所か落雷もあったとか。モデムも当然壊れていたのですが,PCのLANボードのほうにも雷が入っていたようでして,モデムを交換してもらっても結局つながらず。代替機を借りてきてとりあえずネット環境に戻ったという次第です。
今回ネットから遠ざかってみて改めて気づかされたことが,タイトルどおりの「依存症」です。PCって今の私の場合,ほとんどがネットだったんですねえ。PCだけで完結できる作業などにも活用してはおりますが,使用頻度から言うとかなり少ないということです。
テレビのない生活にはすっかり慣れて快適になっているのですが,ネットの場合,メールなど他人との連絡手段に最大限活用しておりましたので,こういうときに困りました。さらに情けないことに天気予報なども頼っておりましたので,いざ明日の天気は,と気になりましても調べる手段がない。そうなってはじめて自分で空を見てもたいしたことは感じ取れていないことに気づかされます。
考えて見ますと,「天気予報を見る」→「仕事の計画を立てる」という考え方そのものが文明的,人工的な生き方そのものでして,その日の天気と田畑の様子と,そして周囲の自然とを見ながらその日・そのときを淡々と生きるというあるべき百姓の姿ではなかったわけです。
だからといって今すぐにこのネット環境依存型の生活を皆無にできるわけではありませんが,せめて今回のような事態に陥っても慌てないですむような心構えでは生きていきたいものです。
ということでまた少しずつ更新していきます。
本当の泥落とし
梅雨が明けました。昨夜遠くではありましたが、雷が鳴っておりまして、ひょっとするととは思っていたのですが、天気予報ではまだみたいなことを言ってました。今朝も雲の動きは速かったので、まだ分からないかなあと思っていましたが、午前中から完全に夏の装いでした。
今日はもち米の田んぼの除草作業。これで最後です。一日掛けて念入りに田んぼを回りまして、今年の除草作業は完全終了しました。もうこれで今年は泥の中に入ることはありません。
田植えが終わると「泥落とし」と言いますが、その後もこのくらいの時季までは除草作業で毎日田んぼに入っているわけですから日々泥にはまみれていたわけです。ということで文字通りで行きますと、今日が本当の「泥落とし」になるのかな。
今年はポット苗のおかげでこれまでに比べてかなり楽に除草作業ができました。しかも稲の生育もここまでかなりの手ごたえを感じられております。ここまで来るとあとは収穫までの間、天候と稲の生命力頼みです。水管理や畦草刈り、そして何より稲を見守るということは今後も続いていきますが、ここまでくればやるべきことはやってきたぞという充実感は出てきますねえ。
だからと言ってこれで豊作が保障されるわけではありません。ここから先はまさに「神のみぞ知る」範疇に突入するわけですね。やるべきことはやるが、それで結果を保障してくれというのは人間だけの虫のいい話でして、だからこそ昔から「人事を尽くして天命を待つ」なんて言葉があったんでしょうね。「まな板の上の鯉」なんてのも近い意味になるんですかね。
なんにしてもやるべきことをやったものにしか実感できない感覚でしょう。こういう言葉の重みってのも要領だけ追求して楽して結果だけを欲していたのでは一生分からなかったことかもしれません。あらためて百姓をできていることの有り難味を感じます。
さて、明日からは畑に戻ります。これまでかなりの野菜たちが放置されたことにより犠牲になっておりますし、その救出はどこまでいけるか分かりませんが、これからの秋野菜たちにも取り掛からないといけませんからね。夏の訪れとともに百姓仕事も気分を変えて仕切り直しです。
にごり水
ここ数日ものすごく降りました。幸い私の周囲では被害と言うほどの話は出ておりませんで、私たちも含め無事に過ごしております。ただ一点を除いて・・・
2~3日前から我が家の水がにごっております。うちの水は全て井戸水の汲み上げなのですが、それは風呂場から始まりました。と言うよりは風呂は水をためるので色が見えやすいと言うことです。
これまでもたまには少しにごっていたこともあったのですが、今回はあまりにもひどかったので、少々心配にもなりまして、お隣さんにも相談してみました。
色々と聞いてみますとどうやらうちの井戸は浅いのではないかということです。ボーリングをしているところを見たことがないと言うので、おそらく昔からの手掘りの井戸の上にポンプを設置しているのではないかという推測です。そうなりますとたいした深さではありません。
で、これだけの雨がまとまって降りますとその井戸にも水が流れ込むということではないかと。
とりあえず裏山の崩れは心配しなくてもよさそうでしたのでそれだけは安心しましたが、水のことについてはあらためて考えさせられました。
ひどい雨が降るとその大量の雨水が土に浸透して水の道にも直結してしまうということですから、地下深くから汲み上げるほどの濾過能力はないわけです。当然、地表近くからのあらゆるものを水に溶かし込みながら流入してくるという構図は容易に想像がつくわけです。
除草剤や各種の農薬、重金属や合成化学物質を含んだ産業廃棄物から生活廃水や家庭ゴミまでありとあらゆるものが無造作に捨てられたり埋められたりしていますが、そういったものも最終的にはどこかの水の道に入り込み、そこから河へ、海へとつながっているはずなんだなあ、とあらためて我々現代人の無責任さを気づかされるわけです。
立地条件から見て、おそらくうちの井戸にはその類のものは流入していないだろうとは思いますが、これも地下でのことですから100%の自信はもてません。とりあえず今まで美味しく水が飲めているという結果論からの推測だけのことです。
「水に流す」とか「臭いものには蓋」とか水や都合の悪いものに関する言葉も日本語には数々ありますが、こうした言葉が生まれた時代とは全く状況が変わってきているんですね。水や土の浄化能力を超えるものばかりを作っては垂れ流しているわけですから、もう「水に流す」なんてことでは何も解決しないどころか、逆に迷惑や被害を拡大させる行為でしかなくなっているのかもしれません。「臭いものには蓋」の原理で埋めて見えなくするってのも同じことですね。
「ゴミを減らそう」 「ポイ捨てやめよう」 「川や海をきれいに」なんて標語を作って頑張る前に自分たちが日常使っているものがその辺に捨ててもいいものばかりだったら何の問題もないんですよね。昔はそうだったわけですから。
以前読んだ小説に(何だったか忘れましたが、明治期の小説でしたね)汽車の窓から弁当箱を投げ捨てるということが当たり前のように書いてありました。確実にこの弁当箱はプラ製品ではありませんよね。
ゴミを投げ捨てるという行為そのものの是非は別として、「あ、これは土に還るのか」と思った記憶があります。
ホント、収拾の着かない話になってきましたが、こんな水源近い田舎ですらこの状態ですから川下へ行けば行くほど事態は深刻なんだよなあって。しかも上水道って川から直接取水してますもんねえ。下水道も結局は河へ流して終わりですしね。
表層しか見えない日常の中でこういうことが起こるとほんの少しだけ真実に近づけるきっかけを与えてもらっているのかもしれません。
人間にたとえると・・・
今日、7月9日はさくらの誕生日です。6歳になりました。犬の6歳って人間のライフステージにたとえると40歳に相当するそうです。
いつの間にか我が家での最高齢者になりあがっていました。
誕生日ケーキとはいきませんが、今日はビスケットをもらいました。
みんなに「太った」と悪口を言われながらも本人はどこ吹く風。「食えるときに食っとかないとね!」よろしく、美味しく食べ続けております。
こころ
気がつくと2週間以上も更新しておりませんでした。毎度のことですが・・・
この間も私はひたすら田んぼでして、畑に関わったのは今日の午前中を含めて2日かだけ。田んぼの除草作業はやはりそれなりに大変ではありますが、去年までに比べると今年は格段に楽に、そしていい具合に草を抑えられてここまで来ております。苗立てと田植えをもう少し改善すれば来年はさらに快適に米作りが出来そうな実感を持てているところです。
さて、我が家では自宅出産に決めてからというもの、今まで以上に食を中心とした自然な生き方というものに夫婦そろって意識が向くようになっております。これまでがそうじゃなかったというわけではないのですが、お腹の中の新しい命のことを一番に考えているうちに今までは『ま、いっか』と妥協していたところにまで意識が及ぶようになったという感じですかね。
その今までは「ま、いっか」で済ましていたうちの一つが醤油だったわけです。基本的に自分たちで作った米や野菜を中心に食べている我が家ですが、調味料に関しては「買う」物が多いです。味噌に関しては去年から自分たちで作り出していまして、一年中とはいきませんが、少しずつは賄えるようになっております。ただ、醤油となりますとなかなかそうはいきませんで、市販のものに頼っております。
買い物はたいていスーパーで済ませるのですが、なかなかちゃんとした醤油に出会えません。この「ちゃんとした」といっているのはとりあえず「本醸造」でして、できれば2~3年熟成のものがいいなと。原料が汚染されていないものであれば最高なのですが、現在の日本でそこまではほぼ望めないので、この点に関しては目をつむっております。
この春、頂き物のカタログギフトでこの「ちゃんとした醤油」を見つけまして注文しました。実際に口にしてみると同じ醤油とはいえ別物ですね。ということで夫婦そろって開眼しまして、身近で手に入る醤油を探していたわけです。
先日ついに見つけました。女房の実家の近くに蔵がありまして、そこで直売もしておりました。
「ユーメン醤油」という会社ですが、気に入ったので宣伝しておきます。
作っている醤油自体もそうですが、醤油の説明をしてくれる蔵の人(だと思いますが、直売所にいた人)も丁寧で誠実さを感じられました。
商品に関してこちらが質問したことについても正直に(だと思いますが、これはあくまで私の主観ですかね)説明してくれていた気がします。
完全なる添加物まみれの「味付け醤油」を「本醸造醤油」と銘打って売っている蔵があるかと思えばこんな蔵もあるんだと、まだまだ捨てたもんじゃないなという気持ちにさせてもらえました。
ちなみに上記うそつき醤油については商品の「裏書」を見れば誰にでも一目瞭然のことなので、敢えてここで名指しでバッシングすることは控えさせていただきます。せっかくの美味しい醤油に出会えたわけですしね。
この醤油、物がいいのでお値段もそれなりです。スーパーに並んでいるものに慣れていると「高いな」と思うくらいの値段はします。でもここからが大切なところですね。
まずうちはほぼお金を使わない(一般的な日本の家庭に比べて)生活をしていますし、そもそも醤油代をケチったところで一ヶ月に数百円しか浮きません。
そして私たちは何よりも「食べ方」=「生き方」だと思っておりますので、そこをいい加減にするということは生きることそのものをいい加減に考えていることになります。だから何をおいてもエンゲル係数は下げてはいけないのです。下げるべき出費はむしろ自分個人の贅沢とか趣味的な「生きる」上では余剰の部分に当たるものだと思っておりますので、この一ヶ月数百円の出費に関しては当たり前のことだと思っております。
健康ブームに乗って異常なまでの高値で取引される食品も多々ありますが、これは論外として、ちゃんと作ったものには「適正価格」というものがあると思うのです。この価格というのは何も算盤勘定ではなく、作る側・買う側双方の必須条件によって満たされるものです。作る側から言えば、当然そのものを作り続けていけるに見合った報酬。もちろんこれは自分たちの贅沢などを含めないのは当然のことです。買う側から言えば、先ほども触れましたようにあくまでも「食」を最優先した家計の構築、ということになります。
さて、話は大分それましたが、私としてはこの「ユーメン醤油」さんに今後も頑張っていい醤油を作り続けてもらいたいので、ここで一つ宣伝しておこうという下心満載な記事なのでした。
あ、ちなみに写真ですが、右側が「三年熟成醤油」、左側のラベルが見えないほうが「搾りたて醤油(二年熟成)」で、いずれも生醤油です。どちらも脱脂大豆ではなくちゃんと国産の丸大豆をそのまま使って仕込んでいるそうです。