2009年10月10日
笹畝坑道
世界遺産の石見銀山に負けない位、リアルな坑道でした。
山師は植物の状態で鉱物を発見するそうです。
江戸時代から大正期まで、縦坑を掘り、
そこへ横抗を掘って下に落とし、運び出す。
500メートルの標高から300メートル近く落とすのです。
この町には今でも山に沢山の穴が開いているそうです。
江戸時代、馬の背、高瀬川の船、瀬戸内海の海路と、
大阪の銅役所へと運ばれていたそうです。
明治になり三菱が近代鉱山に発展したそうです。
「身長165cm以上のかたはヘルメットを被ってください」と、
ボランティアさんからの注意です。
一休さんは1センチ違いでノーヘルメット。
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